DJラッパー

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その昔、ラッパーと言えば、「怖い人たち」みたいなイメージがあり、DJというサングラスにちょっと色黒、坊主頭にカミナリ型の剃りこみ、手をフレミングの法則張りの形にして、上下、前後に激しく動かす。

マイクパフォーマンスとして、激しい言葉を早口に歌う。

怖かった。。。

しかし、最近は、すごく丸くなり、TRFのDJ COOさんがテレビでちょくちょくと見かける様になったが、至って普通(ちょっと天然っぽいけど)なので、びっくりです。

DJも、おばあちゃんのDJがいたり、子供のDJがいたりと、レパートリーも増え、一般的な音楽ジャンルとして認知されてきたのではないでしょうか?

こんな話をしているのも、先日、実家を片付けていたところ、父親のレコードが沢山出てきました。

基本的には、演歌系の物が多かったのですが、キャンディーズやら桜田淳子など、父親のミーハーな一面も垣間見ることができました。

レコード達ですが、現在、家にオーディオのセットがなく、CDなら聞けるのですが、レコードは聞くことができず、欲しい人がいるのかと言う話になり、レコードなら、DJやらラッパーだろうという事になったのですが、ユーロビートでもハウスミュージックでもない演歌なんて・・・。

その内に日本の音楽シーンの一部として演歌のラップやらが生まれてくる可能性を信じて、また、タンスの奥に引っ込んでもらうこととなりました。

ラップも元々は、黒人たちの心を表現した音楽だと勝手に思っているので、日本の心を歌った演歌だって、きっと日の目を見ることもあるでしょう。

 

 

 

 

 

 

東京スカイツリー

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テレビ塔と言えば「東京スカイツリー」となりましたが、方向的にあまり目にする機会がありません。
映画「ALWAYS三丁目の夕日」やリリーフランキーの「東京タワー」などやはり記憶としては、東京タワーの方が馴染みもあり、山手線などに乗っている時も見かけるので、親しみとしては、断然東京タワーです。

しかし、だんだんと世代が変わるにつれシンボルも変化してゆくのだと思います。
「こちら葛飾区亀有公園前発出所」でも描かれていましたが、お化け煙突や勝どき橋も当時のシンボルでしたが、今はなくなっていたり、機能していなかったり、また、新宿の西口も写真で見ると浄水場でしたが、今はビルの林となっています。
ティーネットジャパンも自社ビルから旧東芝ビルに変わり、時代時代によりシンボルなり思い出の建物も変わって行く様です。

平成20年生まれ以降の子供たちは、私達が東京タワーを見た気持ちで東京スカイツリーを見るのでしょうか?
それとも、全く違う建物が思い出のシンボルになるのでしょうか?
2020年に東京オリンピックが開催されますが、築地も移動する(?)事になっていますし、代々木競技場は建て替えられ、新しい東京の姿がもう少しで見えてきそうです。

高知の偉人

各地域には、それぞれ偉人といわれる方々がおられます。

鹿児島であれば、西郷隆盛、

愛知であれば、徳川家康、

そして、土佐高知と言えば、坂本龍馬です。

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しかし、土佐の坂本龍馬押しは、ちょっと他の地域とは違っていると思います。

何かのテレビでやっていましたが、誰に聞いても「坂本龍馬」と帰ってくるのですが、他の地域では、それぞれ、「大久保利通」「豊臣秀吉」など複数回答があるのですが、土佐は、龍馬一色です。

これは、私の勝手な想像ですが、土佐の人たちからしても坂本龍馬という人物の「イメージ」がとても受け入れやすい人物像なんだと思います。

基本的には、司馬遼太郎の「坂本龍馬」のイメージが強いと思いますが、土佐の人たちには、あの、人懐っこい、愛嬌が有りながらも有言実行、苦難に打ち勝ちながら、非業の死を迎えた地元ヒーローに自分を投影しやすいと思います。

土地柄としては、戦国のころであれば、「長曾我部元親」や「山内一豊」、維新の頃であれば「板垣退助」や「武市半平太」などもいるのですが、あまり名前を聞きません。

確かに、その他の偉人たちも素晴らしいのですが、戦国の頃であれば、征服者と被征服者の関係となり、お互いに思うところがあります。

また、維新の頃であれば、薩摩や長州に一歩も二歩も遅れたイメージがあり、龍馬のおかげで薩長土肥などと言われていますが、先駆者のイメージがありません。

その点、龍馬は、元々藩を見限り、「日本人」として行動しています。

これは、藩を単位に行動している他の志士とは異なります。

一番近いところでは、幕臣でありながら幕府の崩壊も辞さなかった勝海舟が近いのですが、龍馬異なり、それでも徳川家に対する気持ちを持ち続けていました。

言ってしまえば、非常に現代の感覚に近いのだと思います。

土佐の人は、もっと龍馬を押してゆくべきです。

 

 

 

 

 

震災から3年

311関東大地震があったあの日から、もう3年になりました。3年経っても、まだまだ復旧できていない町や家族がたくさんいると思います。

 

3年前のあの日、私は会社にいました。激しい揺れのせいで、机の上の物が倒れて、パソコンのモニターが壊れてしまいました。上司が皆に早く帰れと、早退をさせてくれましたが、電車やバスは運航停止、タクシーを乗っても、大渋滞で進まずに、最後歩くことにしました。タクシーを降りたところから家まで、3時間をかけてずっと歩きました。後で聞いた話ですが、8時間以上をかけて家にたどり着いた同僚もいるそうでした。その時、疲れや恐怖心より、とにかく家に帰りたいという一心でした。

 

その後、暫く経っても、停電などのこともありましたよね。その時、うちも無駄に電力を浪費しないように、色々と気を付けていましたが、今では、皆さんもすっかり節電などに関心がなくなってしまいましたね。

 

私は電力博士でもないし、専門家でもありません。ただ、節電だけじゃなく、エコの生活をちゃんとすれば、将来のためだけではなく、自分のためでもあると思います。

 

何をどうすればって偉そうに言えません。せめて水のつけばなしや、電気をちゃんと消すぐらいのことしかできないけど、うちの電球は全部エコにものに変えました。知人に勧めた日本製で質の高いティーネットジャパンのLEDがよかった気がします。

 

もちろん、これぐらいのことがまだまだ足りないと思いますが、心持が何より大事だと思います。自分の行動で、震災に遭った人々にエールを送りたいと思います。1人じゃないから、頑張ってください。

自信喪失

たまに凹むことがあるでしょう。誰だって、凹むことがあると思う。後輩の教育係を任されて、可愛い後輩のために一生懸命に教えるぞって勢いだった。後輩も「先輩、先輩」って色々と聞いてくれて、頼りにしてもらって、本当にうれしかった。

 

ただ、最近はちょっと分からなくなった。先に入社したから、年齢が上だからって「先輩」と呼ばれていいでしょうか。普通に毎日をやっている仕事をそのまま彼女に教えているつもりだったけど、何故かどんどん溝が深まっていくんだろう。

 

うちの会社は昔ながらの企業で、色々のやり方がよくないかもしれないけど、それでも社員は皆そうやってきたことだし、誰も文句を言う人がいなかった。例えば、出社の規定時間は朝の9時ですが、実際に社長も社員も7時に会社に着くのが当たり前のこと。新入社員の彼女に酷なことで、理解できないと上司に異議を申し出た。当然、きちんと彼女に理解させるのが私の仕事だから、怒られたのが私だった。

 

会社を早く出た分で、残業は絶対しないのが彼女のポリシー、時間内に仕事が完成できなければ、後輩のミスは私のミス。

 

私の教え方が悪かったかもしれない。彼女とうまくやれないことがとっても残念です。「こちらのような企業ナビを色々と参考させていただきましたが、先輩が言っていることが間違っていると思います」って資料を見せられながら、はっきりと指摘されると、それはうちの会社に何の関係がある?って思いながら、本当に堪えますね。私は今完全に自信喪失です。

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